50歩100歩

週刊文春にのった斉藤環茂木健一郎批判をa-geminiさんが一部おこしてくれたので、それについて言及してみる。

http://a-gemini.cocolog-nifty.com/blog/2009/04/post-fc85.html

脳は未だに巨大なブラックボックスである。たとえばミラーニューロン説、まだエビデンスによって実証されたとはいえない段階だ。

しかしラカン精神分析をやっている人の口から「エビデンスによる実証」なんて言葉が出るなんて思わなかったな。エビデンスにもとづいてない、という批判をさんざんうけてきたのが精神分析だというのに。そもそも実証なんてあまり重んじない立場の精神科医が、トンデモ脳科学者を批判するのは無理があるんだよ。どうしても歯切れが悪いものにならざるを得ない。というか「ミラーニューロン説」って何じゃらほい。この説が不明確なのでたしかに何が実証されたかわからないね(苦笑)。でもミラーニューロンの存在自体はまぎれもなく実証されているし、脳画像だって立派な「実証」の一つだ。そこから何が言えるかはまだ研究の余地があるとはいえ。「定説がないこと」、と「実証がないこと」の区別もつかないのだろうな。
参考http://wiredvision.jp/news/200904/2009042023.html

それに、脳はパソコンでいえばハードウェアであり、どう作動するかはアプリケーションソフトしだいで異なる。それを無視して、「脳」というハードだけで語るのは素朴すぎる。

そもそも、脳の機能によって人間の社会行動を説明できるというのは、現時点では「トンデモ脳科学」だ私は考える。

ようは構造と機能の違いの話なんだけど前に講演(別に斉藤メインのものではない)をきいたときもこんなこといってたな。一応そんときは可塑性の話や局在論の信ぴょう性の話をしていた。はっきりいってよくある誤解。すでに機能はある程度構造に局在するということで決着はついている。こういう人はアプリケーションが大事だといいつつ、コンピュータと脳のアプリケーションの違いには無頓着。また、実験で特定のアプリケーションを起こす状況をつくり、そのときの脳部位を調べることはできる。脳研究しているひとの多くがそういうことをやっている。アプリケーションとハードの関係を考えるのが脳科学認知神経科学)なのに、ハードを語らずにOSが大事だ、だけで済まそうとするのは素朴すぎる。
 科学ってのは結局、何かに還元して物事を考えるのだから、脳の機能によって人間行動を説明すること自体がおかしいわけじゃない。もっとも現状はこういう行動をとるとき、脳はどうなっているのか、とさぐっているわけで、「人間行動で脳機能を説明している」といった相互的な面があることも大事だが。当たり前だが脳に興味を持つ人のほとんどがアプリケーションのしくみに興味があるわけで、脳を研究するというのはその有力な手段というだけのこと。最近では神経経済学、神経社会学、はては神経美学なるものまで出てきている。毎年自分で実験しきちんと論文を書く人の手によって。これらがすべて「トンデモ脳科学」だと考える、のだろうか。

もちろん「精神分析」だって十分怪しげなのだが、自分たちが「自然科学」であるとは主張しない。

じゃあなんなの?日本で「こころを科学的に探究する」とうたう大学の心理学科にも精神分析の教授がいるし(どことはいわないけど)、アメリカでも精神分析は一応心理学とみなされているんじゃないか。「自然科学」じゃないとか、エビデンスに基づかない*1ことを認めるのなら、すくなくとも大学や臨床の場にポストを得るべきではないのでは。だって実証性がないのだから「まじない師」とかわらないではないか。一応「ひきこもり」の専門家なんでしょ。他人の人生預かりうる立場の人間がしれっと「自然科学」じゃないからいかがわしくてよいと考えているのは極めて問題。
以前このようなことを書いた。http://d.hatena.ne.jp/blupy/20090126/p1

基が講義録であったためか、平易な文章である。それでいて、大変おもしろい。おもしろかったです。著者は精神科医
 統合失調症精神遅滞自閉症不登校を簡潔に紹介しながら、同時に自身の考えを述べていく著者の手際は、心理屋にはぞっとするほど魅力的です。

 
文学や哲学でないのだから、おもしろさから発達障害精神疾患を語られてもね。そういう精神科医が権威をもつのも不思議。

全体的にみてa-geminiさんのこの一言につきる。

全体的に見ると、脳科学一般と通俗脳科学と茂木固有の主張をゴッチャにしたままで批判しているのが気になる。
脳科学者は茂木一人じゃないし、茂木が脳科学者の代表と言うわけでもない(むしろ傍流でしょ)。
これじゃあ、まともな脳科学者(神経科学者?)が迷惑だよ。
斎藤環ポストモダンかぶれの使えない精神科医」という前からの私の評価を強化するだけでしたね。

(追記)
結局、茂木の脳科学者としての権威をそぎ落とす(つまり潰す)ほどの内容はなく、もっとも批判すべき自然科学的な間違いをかすることもできなかった.というのは斉藤自身が自然科学的な思考様式に慣れていないためだからだろう。エビデンスや実証を普段から軽んじている人に「実証されてない」なんていわれてもね。致命的な欠点を指摘しようとすると自分にもあてはまってしまう。
 しかしこんな焦点を外したような批判にも返すことができなった茂木って、菊池成孔のいうように、ディベートにもまれずに育った感じぷんぷんだよ。

*1:すべての精神分析的研究がエビデンスを持たないといってるのではない