心理学の質的研究について

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質的研究、質的心理学とやらがどんなものかちょっとしりたかったのでパラパラ読む。
結論からいうと、「なぜこれが心理学なの?」の一言につきる。というかもはや学問ですらない。
 質的研究の例として付録に学生が書いた論文がいくつかのっている。
最初のは、「支配」の概念の検討を目的としてメモリーワークを使ったものだ。メモリーワークではその記憶はエピソード、行為、出来事に関するものとし、3人称で、とるにたりない細かいことまで、解釈伝記はふくめずにトピックをまず選んで書くものらしい。次に、記憶の集団分析を行う(手順省略)。
 まあとにかく、一人ひとりに過去の記憶(たぶん支配に関する?)について語ってもらいそれを解釈する。解釈のあとで「記憶の比較」とやらをおこなっている。考察は

これらの記憶から、考察が単一の現象でないことがわかった。記憶の中で、支配についてさまざまな解釈がなされ、記録された議論の中でも支配は様々に定義されている。

とあるように支配について9人がどうとらえているかについてまとめられている。つまり、日常語としての「支配」の記述のされ方について述べている。これのどこが心理学なのか。支配は確かに社会心理に関係しているといえるが、この研究からは「支配」の日常的用法以上のものはわからない。
 仮に「支配」の一般的な性質を示したいのであればちょうゆるな帰納法ということか。「結果から、支配とは単一の現象ではなく、測定が困難であることがわかるが」などと続くが、そんなの当たり前だろ。そもそもこの場合の「支配」って何?それを明らかにしない限り、日常語「支配」についてこういう用法がありますと言ってる以上のものではない。アカデミックの定義がいかに現実からずれているかを示すとかならわかるがどうもそういうものではない。
そもそも自分では定義などせず、ただ「支配」という語は多義的に使われている、捉えられているといってるだけなのだ。もっとも本人は、直の現象としての「支配」をとらえようとしているかもしれないが。

 あと質的研究は信頼性に関心がないといいきってのもすごいと思った。代替性もあまりないのも認めている。信頼性がないということは、同じようにデータをとっても同じ結果がえらる可能性がほとんどないということを意味する。まあその現場で生成されるその場限りの現実をとらえようとする質的研究の意味を考えると、当然といえば当然であるが。しかし、信頼性や代替性がないということは、それ以外にその結果は出せないということだから、これはつまり再現性はないことを意味する。これはこの研究が科学でないばかりか、明記されている方法や手順がちゃんとなされているか調べるすべがないということだ。
 まだ妥当性においても、実際に調べた個人や集団以外に一般化する性質をのべようとすならほとんどないだろう。信頼性がなく、その研究で得られた結果がそのときのたまたまの産物だとしたら、それは実際に調べた人についての結果であって、一般的な人に対する結果ではない。実際に調べた個人や集団以外のことはわからないである。こうした研究がこころについて科学的に探究する、心理学でないのはもちろんのことその存在意義もあやしい。