titton、中高生の議論にすら勝てず

  TAkESANさんに「議論のやり方が甘い」的な批判をした(id:blupy:20090123)から、最後ちゃんとしめようかな*1
結局、tittonさんは私の議論の中身には反論できなかった。そもそも私はいままでのtittonさんの議論のパターンや主張を分析し、彼の主張を全面的に認めた上で、水伝を疑似科学と批判することに意味があることを示す主張を構築した。
  案の上、すでにTAKESANさんやid:NATROMさんのとこでした反論*2はすでに認められて使えないせいか、まともに私の主張を返すことができなかった。的外れなメタファーを使ったり、短絡的だとか幼稚だとかの人格攻撃しかできなかった。
  そうそう、私は「短絡的」で「幼稚」で「考えの深くない」「中高生」なのだが、それが何だというのだろうか。私に関する情報など募った覚えはない。私は、tittonさんを不誠実で、一貫性がないが議論には一応返せるやつだと認識していたが、結局ろくに返すことすらできないことが判明した。彼はは私の立論(最初の主張)および反駁に返せてない。下の経緯などご自分で確認して判断されたい。http://d.hatena.ne.jp/blupy/20090123/p1#c1233128313

したがって当初の私の主張をもう一度かかげておく。

結論1

  • 何かにラベルを貼って批判するときは、拡大解釈や無根拠な批判をしないように気をつけましょう。

「水伝が科学を装っていること」は客観的に述べるのは不可能だ。またあるレッテルを貼って批判することは、拡大解釈や無根拠な批判が横行する危険性を孕む。だけどそれは疑似科学批判だけにあることじゃない。「疑似科学批判」「右翼」「トンデモ」なんだってそう。ラベルをはって何かを批判する人はそれぞれ気をつけましょう。

  •  水伝を疑似科学として批判することは意味がある。*3


  それが機能的には宗教だろうと、科学的に正しいことを水伝が正しいと信じる根拠にしている人がいる。機能的に宗教なのに、それを自覚してないとしたら問題だ。学校などでうっかり生徒に話しかねない。実際話しているようだ。自分の宗教をパブリックなスペースで子供などに吹き込むのは害である。
宗教だと自覚していてば、個人の心のうちにとどめることができる。「水伝は科学でない」ことを知ることがその自覚をうながすなら、水伝批判にも意味はある。

経緯

最初の点に関しては、

 私は水伝批判をはじめ判断をすることが非客観的だとした上で、
「で、非客観的だとして何が問題?」
という質問をしたら反せてない。ただ私が短絡的だというだけ。したがって私が最初に提示したレッテル貼りの危険性のみがここで問題点となる。それに対しては「疑似科学批判」「右翼」「トンデモ」なんだってそうだでみんな気をつけようといったら、

他にダメなものがあるからと言って、改善する努力を怠る理由にはならない

ときたので、「改善するな、などといってない。一緒に改善していきましょうといっている。」
と返したら沈黙。したがって「みんなで気をつけよう」という私の主張を完全に認めている。

あとの点にかんしては、

 「科学で認められているから水伝を信じている人が少数で信じてないない人が全体だっていうなら根拠ないね。」「仮にそうだとして大多数の人が水伝を「疑似科学」として批判することで被害受けるといえない。」といったら

排除しようとしているのは疑似科学批判側なのだから、疑似科学批判側に相当な根拠が求められる。一方俺は排除行為は慎重に行うべきだと述べているのだから、俺の側には相対的にさほど堅牢な根拠は必要ないはず。

他人の思想を制限しようとすることには基本的に慎重であるべきで、立証責任は「有害だから排除すべき」と主張する側にある(と俺は考えている)。

という返答が。これに対し私が「だからある思想を排除しようともいってないし、しようともしてないよ。」「私はそもそも排除などしようなどいってないから、より根拠は必要ない、ということになるね。」と返したら、そもそもじゃあ絡んでくるなと泣きごとをいう始末。勝手に読み間違えたのそっちじゃん。仮にこの彼の主張を全面的に認めても、科学だから水伝を信じている人が少数だという「弱い根拠」や、水伝を疑似科学と批判する害を示せてないことにかわりはない。まして私の「水伝を科学だという理由で信じている人がいる」という主張をかすめもしてない。
 あと彼なりにいろいろもがいたよう。

学校で宗教を教えることがなぜ悪いのか。
世界を見渡せばむしろそうでない国の方が多いはず(発展途上国はもとより先進国でさえ)。

という貴重なご意見がかえってきたので

そうね。私がだめだといってるのは「自分」の宗教を教えることね。「学校」のならいいのでは。
じゃあ先進国のうちどれくらいが、宗教を公的な場から排除していないの?まあ、この場合は「個人」の宗教だけど。まあ近代国家がどう公的な領域から宗教を排除してきたかは高校の世界史の教科書はじめいろなとこに書いてあるよ。ま、どうしても私に説明してほしいならするけど。

としたらさすがに無理のある主張だったと感じたのかまたもや沈黙。結局、私の「水伝を科学だから信じている人が、学校でそれを教えてしまってよくない」という当初の主張に全く返せてない。

結局彼の議論は

 このように彼は全く私の主張にかえさなかった。十分反論する機会をあたえたのに。もっとも私は彼から少なからず示唆を得た。私が「短絡的」で「幼稚」で「考えの深くない」「中高生」であることと、そんな私の議論に彼が全く歯が立たないということだ。
つまり、
結論2
tittonは、「中高生」の議論にすら勝てない
ことが明らかになった。結局、彼が一見議論できるようにみえるのは相手が誠実に対応ることに依存してて、私のような非誠実な人の議論には全く歯が立たない*4。つまり議論の力自体、大したことない。

議論は勝てなければ意味がない。正しい主張ならなおのこと勝たなければならない

http://seisin-isiki-karada.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-a705.html
とかいってるがそういうのは勝ってからいいなよ。



(余談)
実は、水伝を「疑似科学」と判定できないことと、水伝を疑似科学として批判する意味があることは普通に両立する。実際に「彼氏がいること」と、「彼氏がいると周りにいうことの利害」はまた別にあるように。結局、拡大解釈ってのは水伝を疑似科学として批判する害の一つであって、その利点と比べないと論にならない。(追)TAKESANさんの掲示板でapjさんがした質問「水伝の被害と水伝批判による被害どちらが大きいか」という害の比較こそが話し合われる点。http://seisin-isiki-karada.bbs.coocan.jp/?m=listthread&t_id=15&summary=on
誠実な批判も読みたい人はgenbさんも参考に。http://d.hatena.ne.jp/genb/20090130/1233301899


tittonさんへ、あなたのコメントの扱いは変わっていませんよ。前のコメントで書いた条件を満たさない限り、この扱いは継続します。

(追記)そうそう、前のコメントの条件ってのは「人格批判もないちゃんした反論だった(それができたらしてるだろう)らいい」ってやつね。
まず人格批判、人格攻撃があったら、その段階で中身に関係なく消去するってことだからね。「的外れだから削除された」だって?それ以前の問題だよ。ま、本人はわかってて今頃になってごねてるだけだろうが。
条件を明示しているにもかかわらず、それに抵触するコメントを書いて削除されるとはなんとも賢い。
 

*1:通常議論で打ち負かしたとしても私はここまでやらない。論者として相手を尊重したいし、勝ち負けより何かを得ようとしてやってるから。今回は勝ち負けが目的なので別。

*2:反論というかただごねてるだけだけどね

*3:もちろん、他にも意味はいくらでもあるだろうが、彼の「水伝は宗教だ」という主張に乗ってみた。

*4:もちろん、いつもはid:T-3donさんが言うように「議論を建設的に進めるためには双方の協力、と言うより協調が必要」という立場だが。こういう相手によってスタイルを変えるというのが不誠実といえるのかな。