Behavioral Neuroscienceって/ポスドク問題/事業仕訳

Cognitive Neuroscienceとどう違うのだろう。だれか教えてくれ。
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世のブログの大半はワインだとかランチだとか、たいていの人にはどうでもいい内容なのかもしれないが、普段専門性の高いブログでたまにそういう記事があると残念に思う。RSSとかでひっかかってもあーなんだぁって。でも常には見たい記事がない方が、ブログをみるという行動は増えるのかもしれない。常に見たい記事があるブログは、一度見たい記事がなかった体験をしたら2度とみなくなる可能性が高い気がする。常にメールを返してくれる子よりたまにメールを返してくれる子の方にひかれるように。
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やってみたい専門がないのに、ほかにやりたいことがあるから大学院に行くのはありか。つまり、悪く言えばモラトリアムの延長だが、大学時代に授業そっちのけで別の活動に打ち込む人がいるように、大学院時代を楽しむのはありか。
 そうする環境があるのならよいのだろうな。所詮、社会的には大学院の専門なども一部を除いて「趣味」でしかないのだから。
 結論からいえば、ポスドクとか博士問題は、修士から絞らなければダメな気がするということ。そして原則後期博士までいかせ、ドロップアウトしたものに修士。金はないが優秀な学生からみれば修士さえキャリアの役には立たないかもしれない。優秀な学生がほしければ金をやる。そのために人数を絞る。
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事業仕訳について、グランドデザインが描けてないとはいうが、注意したいのは常に高次のデザインが優先されるということ。財政再建が至上というグランドデザインなら、科学関連予算だろうが、無駄なダムだろうが削減すべきで、それに抗うのは自分の所属の利益を主張するエゴイスト、分からず屋。一般の人からはノーベル賞受賞者とや八ツ場ダム推進派は同じ穴のむじなに見える。
 だから、自分の分野が削られたくなくば、財政再建至上主義にあらがうことから始めねばならない。自分の分野でいくら最善の案を出したとしても、全体のデザインを変えられないならばそれは局所最適解としか見なされない。