大阪府立大のブランディング

http://d.hatena.ne.jp/kanjinai/20091211/1260489823経由。大阪府立大
 
 そういえば1回だけこの大学に行ったことがある。休日だったこともあって人もまばらだったが、敷地だけが広い典型的なぱっとしない公立大学だなぁという印象だった。それはともかくちょっと考えるだけでもこの改革には課題が山積みだとわかる。と思ったが詳細な改革案 
http://www.osakafu-u.ac.jp/news/news001609/091203.pdf見たら、なんかまともな改革に見えてきた。都立大⇒首都大の改革と一緒にすべきではないかもしれない。
 「選択と集中」によって文系学部を削減し、よくわかんない学際系の学部をつくる、というのはこれまでもよくあった大学改革だ。この大学が新しいのは「理系の高度研究型大学」を目指すという点で、弱小私大では言いたくても言えなかったことだろう。確かに学生からの人気を上げて経営基盤を立て直すだけなら、マンガ学部みたいな文系のとっつきやすい学部で勝負に出るのもありだろうが、公立大学には地域への貢献がある。だから「高レベルの教育、研究を通して地域に貢献する」というのは筋がいい(この点、メーカーが多い大阪ならでは部分があり、ほかの公立大学の地域貢献が「研究型大学」になることかは大いに疑問だ。)。その点、いまいち向性の見えない改変や改名を行った都立大の改革とは異なると思う。
 
 しかし、大学のブランド戦略としては微妙だ。

地味な宇都宮大をブランド化 について考える | 大学を考える
まず、大学に限らず、ブランドとは何かについて考えてみると、元の意味は、家畜に自分の所有物であることを示す焼印を押すことだと言われています。プロレスの技にもあるcalf brandingの「ブランド」ですね。「他の誰のものでもなく、私のものである」という印です。何も高級なものだけがブランドなのではなく、「大衆品」というもの1つのブランドだと言ってもよいということになります。汎用的に定義すると、ブランドとはつまり「そのものが他とどう区別されるか」ということです。

 この差別化という点でネックなのは阪大の存在だ。理系に限定しるわけではないが、伝統的に理系に強く「理系の高度研究型大学」と言えなくもない。阪大に行けない人をターゲットにしているといっても、それじゃ「手ごろな偏差値で行ける理系大学」であって、「高度研究型理系大学」とは違う。
 またそもそもそんなブランド戦略は可能なのだろうか。府立大の研究予算や学生のレベルは、阪大はおろか大阪市立大にも負けぎみ。本気で「高度な研究」を目指すなら、学生と教員のレベルの大幅な向上が必要だろう。良い研究者を呼び寄せるどころか、逆に流出させた都立大の改革は、反面教師になる。理系に絞る、ということで入学する学生の層も絞られる。女子の数は間違いなく減るだろう。もっとも私立の理系の学費は高いので、一定のニーズはあるだろうが、現在の偏差値で果たして入学志望者が増えるかどうかは謎だ。この点でAO入試なんかに舵を切ろうものなら、理系のすぐれた学生を集めるという点で疑問符がつく。
 今回の改革案では、大枠は示したが、4領域に集中した後具体的にどういう教育を行っていくか明記されてない。「専門性+実践力」という言うが、その実践力をどうもたせるのかも謎。学部の統廃合だけでは、一瞬話題を呼ぶだけで、長期的には現状のままか下降だろう。
 これについてはいろいろはてぶで意見がるようだが、今回の改革のベースは「選択と集中」であって、単なる予算削減ではないので、事業仕分けを例に出すのは間違っている。また、財政赤字だから、少子化からしょうがないだとか、そういういうのは腹が減っているのだから無銭飲食してもしょうがない、というくらい愚か。問題が存在するからといって、それに対するいかなる処置も無条件に肯定されることはない。どんな改革案も、現状維持で得られる以上のメリットを産むかどうか厳密に判断された上で実行されなければならない。今回はあえて触れなかったが、文系をつぶすことの害、とういうのも当然総合して考慮されなければならない。
 (追記)このとりあえず「高度研究型大学」を目指す流れは、私立高校が中高一貫進学校化を目指したようにはやるのだろうか。重視注でも述べたように、大阪という土地柄だからこそ、理系の研究に絞るのはそれなりに意味があると思っているがその他の地域ではどうだろうか。