人文社会的な定義付けとか確かに肌にあわないのだが…

単なるメモ。


松尾 隆佑『利害関係理論の基礎―利害関係概念の再構成と利害関係の機能についての理論的考察―』

なお、ここで社会科学的概念と言うのは、現実を抽象化する道具として、複雑な社会現象を正確に記述し、解りやすく説明するとともに、厳密な分析を行うことを目的として用いられる概念を意味する。抽象化の道具である以上、それは卖に現実そのままを写し出して切り取るための道具ではない。社会科学的概念は、現実を前提とし、現実に存立の基盤を有するが、現実を把握し、分析するという目的上、常に現実との間に一定の緊張関係を保たなくてはならない。それゆえ、利害関係のような日常語が社会科学的抽象概念として用いられる際には、多尐なりとも日常的用法との意味のズレが生じるであろうが、これは必ずしも問題とはされない
(中略)
このことはもちろん、社会科学的概念が現実から乖離してよいことを意味するわけではない。現実を説明するためには現実に基づかなければならない。だが、現実をそのままなぞっただけでは現実を説明したことにはならない。Aという項を引けば「AはAである」と書かれてある辞書は全く役に立たない。Aの説明であるためには、「AはBである」と書かれていなければならない。まして、説明を超えて分析であるためには、Aの性質や機能、AがBであるための前提や条件などについての整理・検討が必要とされる。そのような分析を助けるのが社会科学的概念にほかならない。社会科学の役割は、現実を反省し、相対化することを通じて、現実を理解し、現実に働きかけるための知的資源を提供することにこそある。
また、社会科学的概念が再構成される際の定義は、一種の規約として為されるものであるから、その真偽を争うことはできない。社会科学的概念の再構成という作業を評価する基準は、その概念を用いることによって、より緻密な理論の構築が可能になり、分析の精度と効率性が高められ、現実状況についてのより正確な把握が導かれるという蓋然性の程度に求められる。本稿が試みる作業の成否についても、こうした評価基準を適用されたい。
以上のような方法により、利害関係概念が厳密な意味内容を伴って再構成されたならば、利害関係が個体の手に力を増す手段としていかに機能し得るのかを理論的に問うことが可能になる。先に述べたように、利害関係は一種の力になり得るように思える。では、実際のところ、利害関係として把握し得る諸状態・諸関係は、現実の政治社会の中でどのような機能を果たしているのだろうか。利害関係が一種の資格、地位でも有り得るとするなら、それは、制度的な資格・地位身分としての権利との間に、何らかの関係性を有しているのであろうか。個体が権利以外に用い得る手段としての利害関係の可能性を測るためには、こうした問いに答えを与える必要がある。
そして、利害関係概念の意味内容が厳密化され、利害関係の機能が明らかにされたならば、利害関係についての一応の一般的理論枠組みが構築されたことになる。そうした一連の作業が果たされた地点には、利害関係という観点から政治社会を分析することの理論的意義と、個体が力を増す上での意義が明らかになるはずである。