○○を専門にしている、とは何が出来れば言えるか?

専門(感心)をあえて3つに分類してみる。
・?専門家
phDあるいはそれ相当の資格を持っている。(その資格を得る過程で、獲得すべき能力が備わっている)

・?○○を専門にしている(いた)
その分野の全体像をおおまかに体系的に把握しており、必要とあらばその分野の原著論文を探し、理解して問題解決に役立てることができる。

・?○○に関心がある
いくつか本を読んで、いくつかの用語や背景を説明できる

最初の専門家と次の「○○を専門にしている」の違いは、歴史でいえば1次資料(論文にする前のデータ)にあたれるか、2次資料(論文)にあたれるかというところか。1次というのはたとえ専門家でも誰でも当たれるものじゃない。その資料(データ)を入手することは、なんらかの手をつくせば可能かもしれないが、歴史家同士でも細かな専門、地域(ラボ)が違えば現物を入手できるとはかぎらない。つまり実質2次資料によって学問の共有というのは形成せれるのだろう。でも実際、2次資料にあたれるだけでも大したものなのではないかと思う。これはある人は学部生のうちからできるのかもしれないし、ある人は修士でできるようになるのかもしれない。
 こうやって大まかに3段階に分けてみたものの、細分化した科学の世界では、自分の「専門家」と名乗れる専門もまたかなり細かくなっている。実際、自分がやっている直近のまわりの分野について?であるが、あとは?であるということは十二分にありえる。それどころか、分野がちょっと異なると論文の要旨やイントロも理解するのも難しくなる。つまり?であることも、さらなる勉強せずには難しい。だから勉強をさぼったためかわざとかよくわからないが、どの分野にも、特に業績が査読論文で評価されない文系において、トンデモな教授というのはいつでも出てくる。
 1次と2次も大きなだがあるかもしれないが、2次と3次以降の方が大きいと思う。巨人の肩の上に乗れるかという点で大きな違いがあるから。よくネットで専門家がいれば10秒で終わるような話をえんえんと垂れ流されているが(そしてそういうものの方が往々にして人気だったりするが)、*1、そういうのって結局おもしろくないしためにもならない。そのニュースのもとの論文を読まずに、その研究内容について論じようとするのってどうかと思う。こういう話は「科学」なら割り切れる人は多いと思うが、経済や教育や心理だとまた違うのだろう。
 それとはまた別に、専門家が自分の専門について書いたものは他分野から見ても面白いものが多い。おそらく、それはその人が最もおもしろい(価値がある)と思いエネルギーを割いているものだらかだ。
 
 
 

*1:このブログもその例外ではない