イルカを殺すのは悪か?

http://www.afpbb.com/article/environment-science-it/environment/2640471/4565383
http://www.news.janjan.jp/culture/0908/0908259279/1.php
「THE COVE」という映画がアメリカでヒットし、イルカ漁が批判を浴びている。
 しかし、クジラ漁でもそうだが、こうした批判はどこか一面的な感じを受ける。確かにイルカは殺さないに越したことはないが、そこまで非難されるべきものなのか。
 動物を殺すことそのものが悪いことなのだろうか。しかし、一部のベジタリアンを除いて多くの人は肉を食べている。食べているのだからいい、という言うひともいるが、なぜ肉を食べるのか尋ねれば、それは別に生存に必要だからではなく、「おいしい」から、「好き」だからと答えるだろう。つまり、自分たちの贅沢のために多くの家畜が殺されていることになる。また、この「動物殺し」についてはベジタリアンも罪を免れない。医薬品の開発には多くの実験動物が犠牲になっている。自分達は関係ないというのはただのフリーライドにすぎない。
 しかし、映画の製作者や欧米の批判者は、「動物殺し」だから悪いといってるのではないようだ。彼らはいろいろ言っているが、一番は、おそらくイルカやクジラの社会性や知性といったものが他の動物に比べ極めて高く、人に近いという点だろう。
 結局文化が違う、ということに収斂されそうだが、これは結構むずかしい点だ。(ちなみに、欧米の価値観というのは、人間のオスの白人の成人に焦点が置かれていたが、20世紀には女性も非白人も動物も権利を獲得していった。が、動物については結局、「脱中心化」も人間中心になされいることがわかる。「名誉人間」とでも言うべきか。ま、これは余談。)
 文化が違うのだからという理由だけではイルカ漁は認められない。これは文化相対的な議論がアフリカでのFGM(女性器切除)で認められなくなっていることからわかる。各文化を最大限尊重しつつも、世界共通で守るべ時最低ラインというものを設ける流れになっている。多文化主義か文化多元主義という違いだ。たぶんほとんどの人は後者を選択する。だって、たとえば洪水を静めるために子供を生贄に捧げる文化があったとしても、その国の文化だからという理由で放置できるだろうか。
 結局、近代社会の最低限の法倫理に抵触しない限りにおいてのみ、多様性が許される。だからポイントはイルカ漁が近代社会の法倫理に抵触するかどうかだ。現在のところ、そうしたものはないと思う。しかし、放っておけばイルカを殺さないことも近代社会の要件になってしまう可能性は高いだろう。