歴史修正主義に反論するには(1)

ノブオ*1

 先生、ホロコーストがなかったとかおばかなことを言っているひとがいます。

Dr.でっぷ*2:

うん?

信子:

史上最大のタブーへの挑戦だとかいう人もいるみたいね。

ノブオ:

そういう自分の無知を堂々とさらせる人の勇気には敬服するしかないね。ホロコーストの存在を裏付ける証拠はほぼそろっているのに、今ごろそれがなかったろわめくとは、知的誠実さがないか、まともな思考能力が著しくかけているがどちらかだろう。疑うのならまず検索してからいえって。

信子*3

それは単純すぎる考えね。だってホロコーストの否認はネット上の匿名論者に限らずまともな学者もやっているのよ。彼らは歴史学の実証そのものを疑っているの。

ノブオ:

しってるぜ。日本でも小林よしのりとかが自由主義史観をとなえ、たしか従軍慰安婦はなかったとかいってたな。そいつらのどこがまともなのかな。いずれにせよ、歴史修正主義者というのは史実の実証を軽視しして、都合よく自分の主義、主張を補強したいだけだよ。

信子:

ところがその背景は複雑よ。彼らは構造主義の考え方を援用している。

でっぷ:

つまり、そもそも人間は正しい認識なんてできない、という考え方だね。正しい認識がないなら当然正しい解釈もないことになるからこれは大変だ。ソシュールによれば言語が恣意的で、言葉が物理的実体と必然的関係があるのではない。だから言葉を介在させるかぎり、真実には到達しないことになる。これは歴史学にとっては大きな打撃であるのは確かだ。歴史学というのは言語でかかれた史料を正しく認識し、解釈するのがメインの学問だからね。

信子:

いくら豊富に資料の裏付けがあったとしても、そもそも言語の認識が正しくできないのだから、唯一の「正しい史実」なんてもんはなくなる。そうなると、「ホロコーストがなかった」という説を正しくないなどと捨てることはできないのよ。だって「あった」という説だって「正しい」わけじゃないんだから。

ノブオ:

それは悪しき相対主義だな。右翼が歴史学を自説を吹聴するための道具として利用しているだけだ。

信子:

悪しき、ってじゃあまともな相対主義とそうでないものの基準を示してみてよ。あなただって「相対主義」という言葉を自説に都合よく利用しているだけみたいね。それはともかく、左翼の側の人も歴史修正主義にコミットしてる人がいるときいたことがあるわ。

でっぷ:

フェミニスト上野千鶴子がその代表だね。彼女は、官憲による慰安婦の強制連行があったかととわれたとき、公的な文書などの客観的な証拠がなかったとしても、慰安婦たちが切実に経験し訴える「歴史」が彼女たちの「現実」だったのは違いない、といっている。彼女たちのアイデンティティに焼き付いているからだ、と。

ノブオ:

となると、ますます自分の立場に都合いいように歴史をいじくっているだけじゃないか。それだったらおれだって、実はひいじいしゃんが明治天皇を暗殺した、とかいくらでもいえてしまう。

ノブコ:

でも彼ら歴史修正主義者たちにだって、大義名分があるはずよ。自分のすきなように、というほどに歴史をいじくってるわけではない。

ノブオ:

しかし、原理的にそうだろ。歴史学プロパガンダにしている。

信子:

原理的というなら、そもそも歴史を正しく認識できない、という根拠にノブオは反論できてないよね。構造主義的な考え方を受け入れるのなら歴史は「物語」や「フィクション」や「現実」であって、「事実」ではない、ということになる。

ノブオ:

でも、事実を軽視するのなら、それは歴史学の否定ではないのか。歴史学はいらない、ということ?

でっぷ:

しかし案外歴史修正主義者たちは歴史学の役割を重視している。自由主義主観派は、歴史学には国民のアイデンティティを構築する、という役割があると考えている。上野は、歴史学が他人(慰安婦)のアイデンティティの尊重をもたらすと指摘している。ようは、歴史というのは複数あってそれぞれの立場でその一つを選び取ることは意味があり有益である、と。

ノブオ:

そうなると当然、複数ある歴史からどうやってひとつを選び取るかが問題になるわな。

でっぷ:

歴史学ではそれが正当性、つまり文書、記録、証言、物証などから論理的・説得的に構成されているか、になる。

ノブオ:

やっぱり。歴修正主義者の言説は「正当性」の観点から、ざっくりそぎ落とされるね。実際こころある歴史学者歴史修正主義者の出した議論にまともに返答しないだろうし、する必要もないだろう。ようは彼ら歴史修正主義者がいってるのは疑似歴史学にすぎない、ということ。

信子:

なにが疑似歴史学よ、ろくに歴史学もしらないくせに。なんでも「疑似」ってつければいいもんじゃない。そもそも複数ある歴史像から、なぜ一つにしぼらなきゃならないの?

ノブオ:

真実は一つ、だからに決まってるだろ。

信子:

まぁコナンくん、でもその基準自体は歴史学者が決めたものにすぎないでしょ。それを一般の人に強制するのはおかしい。またそもそも真実は一つでも、それが史料から読み取れるとは限らない。そういう点で信夫くんのいう「歴史学」も歴史修正主義者も同じなのよ。

ノブオ:

出た、悪しき相対主義

信子:

だから悪しきって…

でっぷ:

確かに、上野なんかは「多様な現実を認めることは、さまざまな<現実>のあいだで何が<真実>かの判定をすることを意味しない*4」「むしろ存在するのはさまざまな当事者によって経験された多元的な現実(リアリティ)と、それが構成する「さまざまな歴史」であろう。」*5」」といっているね。一方で家永三郎なんかは自由主義歴史観を捉える人たちは学問的にお話しにならないともいっているし、ほかの多くの歴史家も論争に巻き込まれるのを恐れて沈黙を保っている*6
 もう時間がないからまとめると、今日の議論は、信子さんが構造主義的な歴史観を展開し、それに対しノブオくんは素朴な常識から反論を試みた。いったん構造主義を受け入れてしまうと、歴史修正主義者の議論を否定するのは難しい。

信子:

ほら、素朴だってよ。もっと勉強しなさい。

ノブオ:

先生もやっぱ、構造主義派かぁ。でもだったらほかの学問も、もしかしたら自然科学さえ、成り立たないんじゃないか。

でっぷ:

いやそういうわけじゃない。ノブオくんのような素朴な常識だけからは反論したことにならないけど、やっぱ歴史修正主義はおかしいと思う。ここで覚えてほしいのは歴史修正主義者たちは、そもそも歴史学の客観性を問題にしている場合があるということ。これに対して素朴に「それは客観的事実でない」というだけでは反論したことにならない。確かにこの議論はほかの科学にも波及する問題だ。次回、科学全体の話とまぜて考えようと思う。

(次回歴史修正主義に反論するには(2) - blupyの日記へつづく)

  based on 小田中直樹歴史学ってなんだ?」
歴史学ってなんだ? (PHP新書)
参考
ナショナリズムとジェンダー [ 上野千鶴子(社会学) ]

歴史修正主義は愛が足りない - みつどん曇天日記
negative_dialektik はてな村出張所
http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20090326/holo

*1:メリーランド大学超心理学部の学生

*2:本名ジョン・デップ オカルト研究家 南メリーランド大学講師

*3:ノブオのクラスメイト

*4:「日本の戦争資料センター編」

*5:ナショナリズムジェンダー

*6:上に同じ