輸血拒否〜エホバの証人の聖書

輸血拒否に関することを見てて気になったことがあった。

エホバの証人と輸血の話 - 鰤端末鉄野菜 Brittys Wake

血は一切入れてはならない、というのが教義だ、ということになっている。いまは。その話は後で触れるとして、彼らがそう信じる理由は聖書にあると彼らは主張している。

主な根拠として援用されるのは旧約では創世記9:4、「しかし肉をその生命であるその血のままに食べてはいけない」、同様の規定はレビ記17:10-14にあり、これはユダヤ人の律法なのだが、ここでは血を食べたものは死刑になる(「民のうちから断たれる」)といわれる。

 と元信者の方が書いている。
エホバの証人の輸血拒否 - 古本屋の覚え書き

実は個人的にエホバの証人が好きだ。今まで会ったエホバの人々は皆いい人だったからだ。それも、すこぶる付きの。聖書も実によく研鑚している。

とある。このエホバの証人が聖書を根拠に出す、というのが気になった。プロテスタントの家庭に育ったもの*1から見ると、エホバの証人の聖書ってかなり特殊だった印象だったからだ。つってもエホバの聖書なんぞ読んだこともなく、あくまでチラシとかで配布されたのにのっていた個所を見た限りの印象だ。
聖書そのものが全く異なるから教義もあれだけ違うんだと思っていた。
 だからちょっと調べてみたら
http://biblia.milkcafe.to/というエホバ系の人が書いた、聖書の比較サイトがあった。

マタイ 5:3

◇ 新世界訳聖書 ◇ (エホバの証人)
「自分の霊的な必要を自覚している人たちは幸いです。天の王国はその人たちのものだからです。

◇ 新共同訳聖書 ◇ (カトリックプロテスタント)
「心の貧しい人々は、幸いである、 天の国はその人たちのものである。

新共同訳聖書の訳文は一般的ですが、新世界訳聖書は「自分の霊的な必要を自覚している人たち」という特殊な訳文を採用しています。

 ここのところ、ギリシャ語の本文を見ると、「霊の貧しい人」という表現が用いられています。新世界訳聖書は、この「貧しい」という表現の原義に注目しています。

とありそのあとも説明が続くのだが、それを読む限りそれほど原義から離れているという印象はなかった。ただキリスト教の伝統的な解釈ではないし、そうでないことを本人たちも自覚しているようだ。

マタイ 5:5において訳文から「地」という意味合いをなくしてしまうことは、現代の神学にとっては良いものであっても、本来の神学にとっては問題であるようです。


あとおまけ。同じサイトにハルマゲドンについていろいろ書いてあったのだが、

現在のキリスト教諸教会はハルマゲドンの教えを拒絶するようになっています。ハルマゲドンの教えを守る教派を異端視して否定するといったことも多々見られます。
 なぜこのような現象が見られているのでしょうか。すでに述べた、ハルマゲドンが来なかった話はその理由のひとつです。それに加えていくつかの理由が挙げられるでしょう。ハルマゲドンの教えがあまりにも残酷であるため、これを自分たちにとって不都合なものと見なすキリスト教会は少なくありません。ハルマゲドンの教えについてはっきりとしたことを言うエホバの証人は外部の人から「あなたたちはわたしたちの救いを説いているのか滅びを説いているのかどちらなんだ」と問いつめられたりすることがありますが、現代キリスト教会のほとんどは、世からのこのような反応を自らに招きたくはありません。また、教会信徒となる人のほとんどは単純に救いを求めており、幸福な気分になることを追求する現代教会の風潮をよしとしていますので、裁きに関する聖書の教えに耐えられない精神状態にあるようです。結果的に、ハルマゲドンの教えを肯定する教会は衰え、否定する教会は栄えることとなります。

 というのはいいずぎであろう。ハルマゲドン自体は否定しいるプロテスタント教会(おそらくカトリックも)というのを寡聞にしてしらない。もちろん、その日程ははるか先とも、近日とも「わからない」ということになっていて、具体的に決まっているわけではない。むしろ「世の終わりだ」とうそぶく者が出てくるから気をつけろ、的なことがどこかに書いてあった気がする。いづれにせよ、伝統的なキリスト教もハルマゲドンを意識する。ただ具体的な日時はもとめない。そしてその理由は以下のとおりであろう。

今のキリスト教で言うところの「天国」は、もともとは「行く」ところではなく「来る」ものであると考えられていました。そこでキリスト教徒たちはハルマゲドンが来るのを待っていましたが、いつまでたってもハルマゲドンは来ませんでした。こうして100年,200年と経過するとキリスト教は立場が苦しくなり、神の王国が来ないことに対する言い訳を述べる必要に迫られるようになりました。こうしてキリスト教は、成立後数世紀のうちに、地上に関することを抜きにして救いを説く宗教へと変貌を遂げていくこととなります。

前の引用文の終わりに 「幸福な気分になることを追求する現代教会の風潮をよしとしていますので、裁きに関する聖書の教えに耐えられない精神状態にあるよう」と書いているが、もちろんそんなことはない。むしろ宗教にとってハルマゲドン説は短期的には得である。宗教など現世でそのままでは幸福になれない者がやる傾向があるので、現世が滅び、信者だけが天国に行けるという考え方は支持されやすい。だから、多くの新興宗教がハルマゲドンの近日的到来を予言し、それが外れるたびに修正を繰り返しているのだろう。しかし、これはあくまで短期的な話であって、あまりに予言と修正を繰り返せば信頼を失ってしまう。
そして伝統的なキリスト教がそういう方針をとらないのは、2000年も生きてきたなかで、すぐにばれる嘘をつくのは長期的にみて得策でないと、わかったからだろう。

(追記)おお、タイムリーな。今さっきエホバの証人の人がチラシ配りにきました。びっくり。

*1:別に信者ではないし、たいして聖書なんぞ読んだことはないが