経済成長で国民の豊かさはかれるか

GDPに中央値や最頻値は存在しない

GDPについておもしろい(でもありがちな)こと言ってる人を発見。

http://d.hatena.ne.jp/Yasuyuki-Iida/20090202#p1

経済成長=一人当たり実質GDPの上昇
というところから出発しましょう.

という飯田氏のコメントに対して、
http://d.hatena.ne.jp/sivad/20090204#p1

こうやって人口で割るといかにもGDPが各国民に分配されているように見えますけど、実際にはそんなことはないわけで。「国民の豊かさ」の指標としてはかなり作為が入ってきませんか。

普通、正規分布をとらないような集団を代表・要約する場合には平均値ではなく最頻値や中央値を使いますよね。たとえば「世帯あたり購買力の最頻値」であればかなり現実を反映するように思うのですがいかがでしょう。

 なるほど。確かに、分布がゆがんでいた場合、平均値で代表させるのには問題がある。たとえばテストで40点が10人、100点が2人の場合、平均点は100点の二人に引っ張られて50点になってしまう。このとき確かに中央値(40.1点)や最頻値(40点)の方が実態を表していると言えるだろう。
 しかし、この前提は個別のデータの集合を表す場合だろう。だからGDPの場合は当てはまらない。
そもそもGDPとはある国で一年間に生産される財やサービスの総付加価値のこと。国民一人が作ったものを合計したものではない。
「国民」が生産する付加価値じゃなくて、「国内」で生産されるのだから、変数に国民(所得別?)をとった分布はとれない。せいぜい地域ごとの生産はあらわせるかもしれないが。少なくとも世帯や個人を変数とした中央値、最頻値では表せない。
  購買力や所得といったものとGDPを勘違いしてるんじゃないでしょうか。
 GDPは平均値しか出せないから駄目だ、というならまだわかりますが。

一部の成長は、「僕ら」には無意味か

 確かに平均値だと、一人あたり(実質)GDPの上昇は、一部の経済の上昇に引っ張られただけでも達成されていまう。それでは「僕ら」は豊かにならないので意味がないのか。

雲の上のほうで巨額のマネーが飛び交えばGDPは上昇するでしょうけど、それを人口で割っても「国民が経済的に豊かになっていくこと」とは全然別ですよね。…
また、「僕らは」とありますが、成長のスピードは産業やセクターによって異なるわけで、たとえば一部の業界でバブル的な膨張が起こっていた場合、「僕ら」の要領とはあまり関係なくなってしまいます。

しかし、一部の業界の成長は、大部分の国民には関係がある。
 一部の業界で生産が上昇したからには、それは何らかの形で使われているはずです。「僕ら」がその製品やサービスを消費するとすれば、よりよいものを手に入れられるようになったということ。また、その業界の収益が上がれば、その働き手の給料や設備の買い替えが増え、別の業界のものをより多く買うようになったり、そこからの税収が増え、「僕ら」のための政府支出に使われるようになる

GDPを割る意味

 このように一部の業界の成長は、それ以外の「僕ら」にも恩恵をもたらします。つまり、どっかしらが成長してれば、わたしたちは利益を得るということ。だからGDP(全体)の成長が国民の豊かさの指標になるのですよ。
 じゃあなんでわざわざ割って「一人当たり」をだすのか。それは人口増加による成長をはじくためです。一人あたりの消費や政府支出は同じでも、人口が増えればGDPは上がりますから。*1いずれにせよ、GDP(全体)の上昇がみんなの豊かさを達成するので、当然その平均も豊かさの指標になりえる。

 

*1:そうするとじゃあやっぱGNIのほうがいいとかいう議論が出てくる