疑似科学批判批判(titton)まとめ

http://d.hatena.ne.jp/lets_skeptic/20090122/p1
 ほぼ同意する。件のtitton≒ふまみたいな感じでとらえてて、そもそも相手をするのがあまりよろしくないと思っていた。
 彼はけっして頭がいいとか議論がうまいとかではないのにTAKESANさんは手こずってる印象を受けた(しかし議論の分はある)。ギャラリーが疑似科学批判に通じてないならその印象はより強いだろう。また少なくとも水伝についてはtittonさんが議論になってないということもない。
まずとりあげたコメントがまずかった。
http://seisin-isiki-karada.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-4ad1.html

   titton ゲームが「学業に専念できない」という意味で有害なのは確定的に明らか。
   その欠点を克服しない限り有害論は栄えるであろう。それはそうと良いデータベース

 彼の他のはともかく、これのどこが問題かいまいちわからない。
普通に考えて、まあ学業に専念できない理由など他にあるだろう、くらいの反論しか思いつかない。これ自体は疑似科学の話でないだろう。
 疑似科学とからめるなら、有害とはなにかとか聞くのではなく、有害論は栄えるのはよいがそれに間違った科学を用いるべきでないみたいに返すべきだったろう。
しかしTAKESANさんは

一般的に言えば、学業そのもの以外に打ち込めば、学業には専念出来ん訳です(ちょっと考えれば、「並行」させるのは可能だけどね)。それは当たり前。スポーツだろうがケータイだろうがアニメだろうがマンガだろうが恋愛だろうが。で、そんな中学生でも解りそうな事を改めて書いている?

のように返している。この最初の「一般的に言えば、学業そのもの以外に打ち込めば、学業には専念出来ん訳」が「中学生でも解りそうな事」だというのは「ゲームが「学業に専念できない」という意味で有害なのは確定的に明らか。」と意味が変わらないんじゃないですか。最初の対応は私にはtittonさんに分があるようにみえます。これに「実質的意味がない」と返しても、「そっちが反応してきてんだろ」とかえされてますね。
 もうひとつ、水伝の話がありました。これについてはtittonさんは

> 「なぜ水伝は擬似科学では無いか」もよろしく。

だから水伝は(少なくとも最近の水伝は)科学を自称していない。科学でないと明言さえしている。科学を自称していないものを疑似科学と呼ぶなら宗教だって疑似科学になってしまう。疑似科学も宗教も人心を惑わすという似たような面を持っているが、同じ方法では対抗できない。科学は科学でないものを批判できない。(有害な)思想は思想として批判すべきこと。…
 また「科学を装っている」という人もいるが、装っているかどうかは多分に主観的なものであり、文章をどう解釈するかとか社会通念に照らしてどうか等は科学が扱う問題ではない。もちろん科学とは別個に、有害思想や詐欺行為として批判するならそれは自由だ。しかしそれを科学の名の下に行うのは科学を逸脱した行為。…
 科学は提示されたデータのみを批判すべき。たとえば水伝が述べるような実験は再現性がないと批判するのは科学的に正しい批判だ。

と理由を説明しています。要約すると1)水伝は科学を自称しておらず
                 2)科学を装っていると見るのは主観にすぎない
                 (3)科学は実験データだけを批判すべき)
この時点で水伝が科学を自称している証拠を持ち出すか、装ってることが主観でないかを示せば話は終わりのはずです。
(しかし後々考えると実は巧妙に別の論点が隠れていました*1
TAKESANさんは

水に言葉を見せる/聞かせる その後に水を凍らせ、それを観察して結晶の出来方を見る、という「実験」を水伝が主張しているのは知っていますか?

江本氏が著者に名を連ねる、「祈り」が水の結晶に影響を与えるのを「ダブルブラインドテスト」によって調べたと称する論文の存在は知っていますか?

科学で一般に用いられる手法を扱い何かを証明したと仄めかしているのだから、科学の側から批判されるのは、当然の話です。

 説明があまりないので噛み合ってる気があまりしませんが、少なくとも私には「水伝が科学を装っている」ことはTAKESANさん主観だけによるものではないことはよくわかります。この時点で議論はほとんど終わっています。これに対してtittonさんは

実験という言葉を使うと科学を装っているということになるわけ?それはほとんど言いがかり。実験という言葉は科学以外でも使われるのだからね。「聞いた人がどう受け取るか」というのは社会的な問題であり、それはそれで論じるのはかまわないが、少なくともそれは自然科学の問題ではないのだから、結論は容易には出ないし出たとしても白黒がはっきりつくようなものにはならないだろうね。商標が似ているとか誤解を招くという係争と同様に手間をかけた割には玉虫色というか中途半端な判決にしかならないだろう。

と一応ねばって、TAKESANさんが「主観だけでなく水伝が科学を装っている」根拠として挙げた実験を攻撃しているわけです。まあ正直微妙いですが一応反論にはなっています。一方論文に対しては、

これはむしろテレパシーとかテレキネシスの分野だよね。水伝"本体"とはジャンルが違う。水伝の中核的な思想は「水は善悪を判断できる」という部分だろう。そして水伝の信者はその部分を支持しているわけだ。それが信仰だからね。全能の神様なら物事はすべてお見通しというのと同じ。別にあなたがダブルブラインドテストの件を批判するのは自由だが、たとえ反証に成功したところでそれだけのことでしかない。水伝の信者は何の感銘も受けないだろうね。キリスト教を信仰している人は何千年も昔にキリストが見せた奇跡を信じてキリスト教を信仰しているわけではない。その思想や価値観を支持しているわけだ。キリストが起こした奇跡がウソだと批判し、またたとえそれが証明できたとしても何の意味があるのか。

論文でもジャンルが違うと返しています。まあ一応返っていますか。これに対してTAKESANさんは

水伝本は読んだ事ありますか? 物質の振る舞いに関して実験すると言っていて、グラフやら何やらを出しているんですが。

▼▼▼引用▼▼▼
水伝の中核的な思想は「水は善悪を判断できる」という部分だろう。
▲▲引用終了▲▲
そうなんですか? 水が言葉に応じて構造を変える、という部分では? それが無いと水伝は成り立ちませんけど。

て言うか、その段落は、何を言っているのか本当に解りません。祈りとやらが水の結晶に与える影響というのを「ダブルブラインドテスト」という科学で検証に用いられる方法で確かめた、という主張を江本氏がしている、という話をしているのですが。

実験がグラフを使ってるてのはちょっと弱いですが、論文がジャンルが違うというのに対し、「構造を変える」ことが重要と返し、さらに検証方法が科学のものだと指摘しています。これに対しさすがに力尽きたのかtittonさんは

> そうなんですか? 水が言葉に応じて構造を変える、という部分では?

同じ意味でいってるつもりなんだけどね。「判断できる」というのは何らかのリアクションが取り出せなければならないのだから、それがあなたのいう「構造が変わる」ということ。

としか反論していません。ブラインドテストの話に反していません。これでTAKESANさんの勝ちが決まったも同然です。しかし、
TAKESANさんは

▼▼▼引用▼▼▼
同じ意味でいってるつもりなんだけどね。
▲▲引用終了▲▲
「言葉に応じて結晶の構造が変わる」のと、「水が善悪を判断する」は、同じではありませんが。

▼▼▼引用▼▼▼
分からないと言われても、俺にはあなたがなにを分からないのか分からない。
▲▲引用終了▲▲
文脈がはずれていて、文章に整合性が取れていないという事ですよ。

相手に合わせて議論を縮小し(つうか最初拡大しすぎたんだが)、瑣末なところを突っ込んでおわっています。ここで相手がドロップしたブラインドテストの話とかもう一度引っ張って説明したり、そうそう「構造が変わる」と意味が同じだから結局科学の話だよね、って確認して、「水伝は科学を自称しているから疑似科学」と結論すければ話は終わりでした。水伝については(ゲーム論についてははじめから…)。
  もとっともNOTROMさんが示したIHMが科学を自称しているデータを示せばすぐおわった議論なんですが。
 ゲーム論の話でtittonさんが出した根拠は見事に水伝の話の根拠と矛盾してましたね。(主観の話とか)ゲーム論の相手の議論を潔く認めて相手の説明を根拠にする手もありました。
 最終的に何を争ってるか確認しつつ、瑣末な部分に反応しないで、議論が終わったあと結論を確認するとよかったかもしれません。

   
以上水伝が疑似科学かどうかについて。TAKESANさんの粘り強さによって議論は終了したようです。NOTROMさんとこではまだ続いてるみたいですが。http://d.hatena.ne.jp/NATROM/20090119#p1 ここでもtittonさんは粘っているようですが、この次元になると誰も彼の言ってることはわからないでしょう。


 さっきtittonさんの最初の説明に実は別の論点があったといいました。3)科学は実験データだけを批判すべき 
というやつです。
 今掲示http://seisin-isiki-karada.bbs.coocan.jp/?m=listthread&t_id=15&summary=on
でやすさんが唱えている「疑似科学はあいまいだから使わずに、科学的に間違ってるとだけ指摘すべき」という話ですね。
(追)題名おかしかったので直しました。

*1:もちろんtittonさんが意図して隠したといってるのではない