社会科学における実証性は必須か?

 いまさらながら。この点でナイーブすぎる人が意外にいる。その仮説には支持するエビデンスがない、だから正しいとも間違ってるともいえない。なのにその仮説を主張するのはおかしい。と、素朴に思っている人は、たぶん、二つの点を見逃している。社会は繰り返さないということと理論的な正しさもあるという点だ。
 前者は言うまでもないが、実験という観点でみると、社会そのものは繰り返さないので、厳密なコントロールは存在しない。もちろん、設定を小さなもので再現して実験したり、別の形の実証もあり得るだろう。しかし、自然科学的な意味での実験による実証は不可能か、可能であっても実行する規模がでかすぎる場合が多い。
 理論的な正しさ、というのは自然科学にもある。別に実証が伴わなくても論文になる分野がある。同じ「理系」でも、実験屋と理論屋はやってることが大きく異なる。後者の営みは文系に近いのでないか。いや、自然科学の理論は、数学的に照明されるから正しいのであって、社会科学ではそうはいかないという意見もあるかもしれない。しかし、数学というのはモデルを説明する手段の一つにすぎない。モデルや理論は必ずしも数学を使わなくても説明し得るし存在し得る。
 (つづく)