科学とその適用、経済学と政策担当者,教科書と中間小説

経済学>>>>>>>>>>>>>>>教育学、心理学>>生物学

5号館のつぶやきで興味深い話がされています。

経済学にもコミュニケケーターは必要なんですねhttp://shinka3.exblog.jp/10839892/

経済学は自然科学と違って、経済学者だけが知っていても役に立ちません。多くの人々、特に政策担当者がそれを理解しないと意味がないのです。その意味で、経済学のロジックをわかりやすく伝え、合理的な政策を提案することは、学問そのものに劣らず重要です。経済学者が学術誌のような「純文学」に集中するのは、学界での地位を得るため*1には重要でしょうが、限界生産性から考えると、今のように間違いだらけの大衆小説ばかり横行している状況を是正するほうがずっと重要だと思います。http://agora-web.jp/archives/448286.html

という経済学コミニュケーターが必要だという池田信夫*2に対し、

この中の経済学を、生物学と入れ替え、自然科学を仮に教育学と入れ替えてみましょう。

生物学は教育学と違って、生物学者だけが知っていても役に立ちません。多くの人々、特に政策担当者がそれを理解しないと意味がないのです。その意味で、生物学のロジックをわかりやすく伝え、合理的な政策を提案することは、学問そのものに劣らず重要です。生物学者が学術誌のような「純文学」に集中するのは、学界での地位を得るためには重要でしょうが、限界生産性から考えると、今のように間違いだらけの大衆小説ばかり横行している状況を是正するほうがずっと重要だと思います。

 どうでしょうか。おそらく、たいていの学問分野に対して、同じようなあてはめが可能だと思います。

しかし、実際そこまで同じでしょうか。
「生物学のロジックを使った合理的な政策」とはいったいなんでしょうか。


一般論として、その学問をそれを究めた学者だけが知ってるのはよくない、とは言えるかもしれません。だけど社会科学と自然科科学で意味合いや重みが異なるのもまた事実。
政策担当者にとっての経済学は、医者にとっての医学、生理学みたいなもんでしょう。政府省庁や国会で出される「政策」で、自然科学の知識が必要とされるものがどれだけあるでしょうか。それに引き替え、個々の法案のみならず、経済学は公務員試験の科目でもあるように、政策立案者が学ぶことが課されています。

 ということは実は池田氏の話の前半も間違ってることを示しています。
エリートたる政策担当者が中間小説など読んでいてはこまるのです。ちゃんと自分で標準的な教科書を読み、体系的に理解していることが必要でしょう。実際そうでないと経済職なんか合格できないし。もちろん法律職、政治職で採用された人や政治家においても、実際に財政、金融など経済を扱う法令を扱うなら勉強する必要があると思います。少なくとも基礎は中間小説などでなく教科書で。*3
 あ、あと象牙の塔にこもった「純文学」の反対は、必ずしも大衆にわかりやすい中間小説のようなものを意味しません。
実践的な研究、政策と理論の間を埋める研究というのは可能だし、実際どの分野でもある程度あるはずです。安易にアカデミックな検証方法や思考を放棄すべきではありません。「中味などはどうでも良く大衆を扇動できる経済学者が必要だというとんでもない議論」に陥りやすくなるからです。

もちろん、個々の政策によっては生物学の知識も必要になると思います。その意味では、教育学や心理学の方が必要とされている政策は多そう(文部科学省とか)。
 どの政策にも必要な法律を基準に、その学問が必要とされている政策の数を適当に予想すると
  法律>>>経済学>>>>>>>>>>>>>>>教育学、心理学>>生物学*4
なんじゃないか(これは私の勝手なイメージなので反論あったらどうぞ)。

あと後半部、大衆にわかりやすい読み物が必要というのは、社会科学、自然科学問わずそのとおりだと思います。
 そういう意味で経済学なら(池田氏のわけわからんブログなどではなく)、基礎をわかりやすく解説したものがよいと思います。
http://d.hatena.ne.jp/tanakahidetomi/20090214#p1に小学生にわかるものからのっています。

基礎知識だけで応用するのが難しいことは、応用に基礎が必要ないことを意味しない

また、やっぱり医学や経済学に限らずある学問を応用するにはその教科書レベルの知識のみではむずかしい。一般法則の導出とその適用は別である、というのはそのとおりだと思います。
http://d.hatena.ne.jp/sivad/20090215#p1

医学知識というのはたくさんの患者さんや症例を統計的に検討して、「共通性がある」と判断された知識です。当然、治療の際には踏まえておく必要があります。

しかし、個々の患者さんは多様で治療の際に教科書通りのデータばかりが出てくるわけではないし、マニュアル通りにやればいいわけでもない。

医療の目的は教科書のルールを守ることではなく、個々の患者の治療にあるわけですから、たとえ「教科書的」に確立していなくても、患者に合わせた処置を考える必要があります。

 * 科学は(主に)物事の一般性、共通性を追い求めます*1。
…教科書通りでよいという主張ならば、なぜ教科書どおりでよいのか、ということを説明する必要があるわけです。

…再び医療現場を考えましょう。この患者さんにどういう処置をすべきか、何をどのくらい投与すべきか、という時に、「教科書に書いているから」、だけでは医療者として不適格です。

病状、体格、体質、環境を考慮し、かつ患者さん自身の意向も配慮したうえで、教科書の事例と一致するので、教科書通りにします、といわねばなりません。

経済学者がもし政策に関与しようとするのであれば、まったく同じプロセスを経る必要があると思います。

しかし、そいした一般法則の適用においても教科書的な知識が必要であるのは言うまでもないはずです。医学を学んでない医者に診てもらいたいを思う人は皆無でしょう。また、教科書通りでないならなおさら説明が必要でないでしょうか。


だから…

私は「個別の経済における適用の方法」について話をしているのですが、luke_randomwalkerさんたちは「経済学の中での知識」について話をしている。


コメント欄の議論でいえば、私は日本という固有の国民の豊かさを記述し、改善するために経済学や科学のどういう適用をすべきか、という話をしていたわけで、これに対して経済学の教科書ではこうなっている、ということを言われても噛み合うはずがないのです。

「個別の経済における適用の方法」なんて経済学の基本概念を「勉強して」さえ手に余り、とても語れるものではないと素人の私なんかは思ってしまうわけです。
 何度もいいますが「個別の経済における適用の方法」を語る前にやることがあると思います。これ以上はいいません。

もちろん適用、応用が難しくても、その学問の立っている前提や不十分な点は素人、プロ関係なく批判できるはずです。その場合も批判対象についての知識が必要でしょう。じゃないとただの藁人形たたきです。

まとめると
・政策担当者と大衆を一緒くたに論じるのは無意味
・経済学の教科書なんぞ政策担当者になる人が読まなくて誰が読む?
・科学の正しい理解のために専門家が書いたわかりやすいものは必要
・学問の応用においても基礎は大切
・学問を教科書的な知識を知らずに批判するのは藁人形たたき 

*1:学会での地位がえられない「から」大衆小説をかき出すケースが一番多いとおもわれ

*2:エントリの趣旨とは裏腹に「間違いだらけの大衆小説」ときいて彼を連想する人も少なくないはず

*3:まして自説の権威づけのために文脈を無視した引用を繰り返すような人のものを読んでいたらorz。

*4:ここで話に出てきてない心理学をさりげなく混ぜるあたりさすが私